私の中に棲む男たち
私の中には幾人かの男たちが棲んでいる。歴史上の人物もいれば、現在も隆々と活躍されている方もいる。過去何かのキッカケで知り、尊敬し、私の心の中に棲み始めた方々だ。おりに触れてその方だったらどう考え、対処するかを考える。
昨年坂本ゼミの仲間入りをさせて頂き、私の中に棲む男たちの数が一気に増えた。中には私のキャパシティオーバーで、出会ってから数ヶ月経った今も反芻しその方のことを感じ取ろうとしている。今日はその方のことを書く。
名前は高江常男氏、故人である。昭和2年生まれ。昭和31年に小さなドライクリーニング業を開業した。目的は障がい者雇用である。企業名は社会福祉法人北海道光生舎。売上高46億円、舎員509名(障がいのある就労移行訓練者等を含めると1,000名を超える・2013年実績)と同業種で北海道トップクラスの業容である。人口が1万2千人の赤平市に本社がある会社でこの実績である。
この高江常男氏の生き様が凄まじく、私の中で彼が呼吸をしている感覚さえある。高江氏は幼少期に遊んでいて右目を失明し、十七歳の時、職場の電気事故で両腕を切断。奇跡的に一命を取り留めるが、事故で肺の上部が焼け、医師からは余命十年と宣告される。
彼は詩や小説等を書いて生きていくことを考え、口にペンをくわえて字を書く練習を始める。睡眠時間を削り、眠くなると足に針を刺したり、冷水に顔をつけたりして1日3時間という睡眠時間で、文章を書き続けた。地元の赤平で炭鉱の仲間と共に詩集などを出していたある日、新聞記者として雇用されることになった。
町には炭鉱事故で怪我をした多くの障がい者がいた。高江氏は、彼らになんとか就職を斡旋しようと走り回るが、雇ってくれる所はどこにもない。両手のない自分が仕事を見つけてようやくメシが食えるようになった。今度はこの障がい者の人たちの仕事をなんとかして見つけたい。それが叶わないなら自分たちで仕事をやるしかない。そう考えた高江氏は、自ら創業を決意する。
資金も経営経験もない徒手空拳の創業で、「障害者に何ができる」という周囲の偏見に対して、一度たりとも障害を売り物せずに、真っ向から事業を推進。見事50余年のうちに一大企業に育て上げた。 平成19年没後も高江氏が命をかけて成し遂げた偉業とその理念は後継者であるご長男に引き継がれ、北海道光生舎はさらなる発展を遂げている。
昨年8月、坂本先生に率いられ赤平市を訪問した。その地に立ち空気を吸い、高江氏の奥様からお話をお聴きし、障がい者の方々がイキイキと働いていらっしゃる姿を見て、そこに高江氏の雄大で、あたたかな情念(存在)を感じ取った。以来、高江氏は私の中に棲み始めている。
今日一日、みなさまにとって、素晴らしい日になりますように・・・。
春木清隆