「何のために」
「何のために」
■先週末は、友人3人と熊野古道(和歌山県)を
巡ってきました。
熊野古道というと、長い距離を歩いたように
思われますが、移動はもっぱら車で、
歩くのは参拝する際に階段を登るくらいで、
1日一万歩程度と普段と変わらぬものでした。
古くから、巡礼者や修験道者が歩いたこの地。
アクセスの難しさもあり、千年前と変わらぬ
自然と精妙な空氣が満ち満ちていました。
和歌山県に泊まるのは、新卒で入社した会社を
辞めた後、2週間かけて国内を旅した時以来
でしたが、もう一度訪れたい豊かな場所でした。
■仕事柄、経営者はじめ新入社員や学生さんなど、
さまざまな人たちと触れ合うことがあります。
その方たちの中で、「何のために」、
つまり「目的」を明確にして生きている方は、
そう多くありません。
否、極めて少なく、死ぬまで「目的」を持たず、
なんとなく生きている…。
そんな方がいらっしゃることが
とても、もったいないことだと思っています。
■ご本人からすると、一所懸命生きているし
日々、生活のためそれどころではないという
お気持ちもわかります。
しかし、筆者のつたない経験などから
人の可能性はそんなもんではない
と確信をもってお伝えしています。
それは人生でめぐり逢った多くの方々から
学ばせていただき、「目的」をもつことで、
非常に大きな力を得ていると実感しているからに
ほかなりません。
■人生経験の少ない学生さんや、新入社員さん
であれば、これから…、とも思います。
しかし、経営者や幹部が、「目的」を明確に
して生きていなければ、
ともに働く仲間や後輩にいい影響を及ぼすことが
難しくなってきます。
そして何よりも、せっかく授かった命の可能性を
花開せることなく人生を終えていくのです。
■会社の場合、「目的」は経営理念になります。
百年以上続く老舗企業は例外なく「家訓」などの
かたちでこれを大切に守り、伝え続けていること
が、会社の土台となり、発展の背骨となっています。
一方、多くの会社では、経営理念がおざなりに
なっている現状のように感じています。
経営理念やクレドはあるが、掲げているだけ、
作りっぱなしになっていないでしょうか。
■話を戻すと、「何のために」、
つまり「目的」を明確にすることで、
個人も法人(会社)も、その可能性を発揮する
大きな原動力になるのです。
そして、その「目的」は、作ったときが始まりで
そこから日々、確認と実践を繰り返していく…。
この勉強は何のため
この掃除は何のため
この作業は何のため
この会議は何のため
この試練は何のため…。
それら一つ一つが大いなる「目的」に
つながっていると実感するとき、
与えられた人生の豊かさを実感できる
のではないでしょうか。
以上、最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
今日も、皆さまにとって、
最幸の一日になりますように。
日々是新 春木清隆
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目的を持たない人生は、
航海をしない船のようなものだ
セネカ(哲学者 紀元前1年頃 ~65年)
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