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松下村塾を訪ねて

松下村塾を訪ねて



■先週、兵庫県姫路でスポット仕事がありました。
大回りして、以前から行きたかった山口県萩市の
吉田松蔭ゆかりの地へ行って来ました。


ご存じの方も多いと思いますが、吉田松蔭は、
幕末、松下村塾で有為な人物を育てた人です。


松下村塾から輩出された人たちは、久坂玄瑞、
高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、桂小五郎など
幕末から明治維新、さらには明治新政府の
中心的な役割を果たしました。


今回、彼らが生まれ育った土地を歩き、
改めて感じたことを共有します。






■長州藩は、幕末、4か国連合艦隊
(イギリス・フランス・オランダ・アメリカ)と
戦争をした藩です。


敗北を喫したものの、一藩が列強4か国と戦う
という決断をしたその気概には深い感銘を受け
ます。


その後、長州藩が戦争の経験を活かして開国路線
に転じ、イギリスに接近し、軍備の近代化に努め
たことは注目に値します。


さらに、薩摩藩と同盟を結び、倒幕運動へと舵を
切ったことから、激動の時代において、一見無謀
と思われる行動が、新たな未来を切り拓く原動力
になることを再認識しました。





■そのような、現在と相通じる激動の時代に、
松陰が松下村塾で教えていた期間は、わずか1年
程度でした。


しかし、短い期間にもかかわらず、多くの優れた
人たちが育成された特徴が、現在の人財育成にも
有効であると思われますので、以下に共有します。





【指導者と学習者の関係は対等】
松陰は教師と生徒といった上下の関係ではなく、
「同行者」「諸友」と考えていました。

さらに、松陰は塾生と一緒に餅つきや畑仕事、
寝泊まりをするなど、コミュニケーションを
大切にしていました。



【自主性尊重】
松陰による一方的な講義よりも、塾生同士の
討論が中心でした。塾生が講義を行い、それに
ついて全員で討論する形式もありました。
松陰も討論に加わり、塾生から学ぶこともあった
と言われています。



【行動第一】
松陰は、塾生に対し、
「人間たる者『行動第一』であれ」と説き渡して
いました。

つまり、人間として最も大切なことは行動力であり、
考えただけでは意味がないと強調していたのです。



【飛耳長目(ひじちょうもく)】
飛耳長目とは、遠くの事をよく見聞きする耳目。
観察に鋭敏なことです。


松陰は1851年から1854年にかけて、全国遊学の
旅に出ています。


この旅では、東北から九州まで各地を歩き回り、
当時の日本の実情を詳しく探っています。


その行き先は、北は青森まで足を伸ばし、南は
長崎まで行っています。


わずか5年足らずの間に、歩いた距離は
約13,000kmになります。







■『熱誠』
このような行動力の源泉となったのは、
松陰の誠意あふれる情熱です。


松陰のほとばしる熱意が、門下生や時代に
与えた大きな影響を与えたのだと
今回ご当地を訪ねて痛感しました



以上、最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

今日も、皆さまにとって、
最幸の一日になりますように。

日々是新 春木清隆

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自分の価値観で人を責めない。
一つの失敗で全て否定しない。
長所を見て短所を見ない。
心を見て結果を見ない。
そうすれば人は必ず集まってくる。

吉田松陰(幕末の思想家・教育者 1830~1859年)
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