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「不登校・偏差値38・高校中退」東大文Ⅱストレート合格 【息子の東大受験記】

昨春(2022年)一部の方にメルマガで
発信した内容をここに掲載します。
子育てや人財育成のご参考なれば幸いです。



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以下、インタビュー記事
(8,096字/読了時間11分 2022年5月30日インタビュー)

千葉県八千代市に長年住まう、父 清隆さん、母 Y子さん、長男 ***さんという3人家族の春木家。読書をこよなく愛し、にぎやかに食卓を囲む、会話の絶えない家族です。一人息子の***さんは、「不登校・偏差値38・高校中退」という経験を経て、ご両親の応援と本人の強い意志によって2022年春、東大文Ⅱにストレートで合格を果たしています。
家庭や学校などでどのようなことがあって、ここに至ったのか。また、今後の人生についてなどを、ご両親と***さんのそれぞれに伺いますが、今回は、2022年5月30日に行った、ご両親へのインタビューをご紹介します。お2人の子育てや家族に対する考え方など、示唆に富んだお話が飛び出しました。



【息子の不登校の危機に、「学校に行くことに固執する必要はない」と思えた】

――最初に、息子さんの「***」さんというお名前について聞かせてください。こちらにはどのような思いを込められたのですか。

母:まず私が音の響きから考えて、柔らかいイメージのサ行 に絞り、「そうちゃん」という呼び方がしっくり来たので、それを主人に伝え、漢字を考えてもらいました。

父:それをふまえ、優しく力強く、大勢をまとめ上げていくような人になってほしい、という思いで漢字を決めました。

――そうした思いについて、息子さんには小さい頃からお話されてきましたか。

母:特に話はしなかったのですが、命名式に披露する命名書を装丁してあったのを、本人が中学に入学して一人部屋を持ったときに、自分で部屋に飾っていました。ですから自分の名前とその由来に関しては、関心があるようです。

――そのほかに、ご両親のそれぞれから毎年、誕生日に色紙を贈っていることからも感じるのですが、思いを文字にして伝えるということを、ご家族内できちんとされていますね。

母:文字にするようになったのは、中学入学ぐらいからですね。それまでは、私が戦隊もののキャラクターなどを、色を塗って飛び出すカードみたいにして、毎年贈っていました。ですが中学入学頃から、こういうものよりは文字で伝えていこうと思って、その頃から主人も参加してくれています。
受験の年であった昨年、2021年7月の誕生日には、私からは「心身健やかに」と書いた色紙を贈りました。

父:私は「未来完了」という言葉を贈っています。完全にそれが達成できているというイメージを常に持ち続けてほしい、という思いですね。私自身も過去にそうした体験を通じて、この言葉が力になったことがありました。やはり東大受験に際しては不安や、大変な状況もあったと思うのですが、入学した後のイメージを持ち、この未来完了の意識でいてもらいたかったのです。

――その息子さんですが、不登校というのがまず小学生のときにあったといいます。どのように気づかれたのですか。

母:結局、不登校にはならず本人が最終的に、頑張って行くことを選択しましたが、最初に知ったのは、お風呂でのことでした。一緒に入り、上がって彼の体をタオルで拭いていたら、急にしゃがみ込んで泣き出すんです。「どうしたの?」と聞いたら、そのまま裸ん坊でずっと泣いていて、「悔しい」「いやだ」って言い出すんですね。それで、タオルでくるんだまま、話してくれるのを待っていたら、いわゆるいじめにあっていたのだと分かりました。小学3年生なので陰湿ではないものの、1人対大勢など、かなり辛い目にはあっていたようです。
担任の先生に相談をしても状況は変わらず、主人と私とで話し合った結果では、もう学校を辞めていいという風に至っていました。他の選択肢もいろいろあるだろうから、別にここで戦わなくてもと思ったのですが、本人にそれを伝えると「いや、それじゃあ負けたことになる」と言うのです。それで学校に行くことを選択したのですが、その代わり、「行きたくないとか、体調が悪い時はいつでも帰ってきていい」「1回行ってみて、嫌だったらすぐ帰っていらっしゃい」というような接し方で、なんとか乗り越えていきました。

――そのように、精神的に逃げ込める場があると、言ってあげるだけでもだいぶ心持ちが違ったのでしょうか。

母:そうかもしれないですね。小学校って、「元気でお友達がいっぱいいて、いっぱいお勉強して、いっぱい運動して、なんでも積極的に頑張りましょう」みたいに、いつも日向にいることが良しとされがちですが、それでは人間疲れちゃう、というような話は、今も家族でよくしています。日陰こそ大事ですよね。

――ご両親がお2人で相談されたとのことですが、義務教育なのに「行かなくていい」と言えたのは、すごいですね。

母:答えはこれだけじゃない、と思えたのです。主人がその時勧めてくれた本があって、確かダニエル・ピンクの著書でしたが、それを読んだ時にパッと目の前が開けました。大事なのは、長い人生の最後に幸せだったと思えるよう歩ませてあげることであって、今こんな小さなことで固執して戦うのは違うなと。いっそのこと移住してもいい、くらいに思えて、すごく楽になりましたね。

――ご両親のそうした雰囲気も、息子さんに伝わったのでしょう。しかし、その後も5年生で、合唱コンクールで練習を強制されたことに反発を示すという出来事があります。一般的に日本では子どもが受け身になりやすいのに対して、息子さんは自分の意志が強くあるようですが、どう思われますか。

母:その片鱗が見られたのは3歳、幼稚園に入学してからです。とても穏やかで和やかでおっとりした子だったのが初めて、バイオリンのレッスンで椅子に座りながら足をわざわざ組むということをして、下から先生を睨み上げたんです。先生は当時50代半ばで、やや命令口調が強い方ではありましたが、それが本当に気に食わなかったのでしょう。何回目かのレッスンで、キッと見上げるという態度をとっていて、こちらが慌ててしまいました。
その後も幼稚園の年長のときに、先生から「あいうえお帳がとにかく嫌いなようです」と言われたので、この子は人から、自分がやりたくないことを強制してやらされるのが、とても嫌いなんだなと思いました。持って生まれた性分かもしれません。おそらく主人のDNAですね(笑)。



【息子が成長したときに、同じ男として「かっこいい大人」でありたい】

――そのお父様にとって、比較的遅めのお子さんでした。最近は高齢出産や年齢の行った親御さんが増えていますが、ご自身はお子さんを授かられた時に、どんな風に感じられましたか。

父:やはり、まず責任感から、これから守っていくのだと覚悟したのと、もう1つ、彼が高校3年生ぐらいになった時に、かっこいい人間、かっこいい男、かっこいい父でありたい、というモチベーションがすごく湧いてきました。自分が仕事をしていても、回りにかっこいい大人というのがあまり多くないと感じていたので、授かったことをいい機会として、息子にとって、かっこいい大人でいようと思いました。

母:それはその通りになりましたよね、よかったです。

――お2人とも若々しく、素敵なご両親でいらっしゃいます。ちなみに、息子さんは東大で、起業サークルに入ろうとされていたのですが、お父様は自営業ですか。

父:以前は事業会社に勤めていましたが、2010年、息子が小学生の頃にコンサルタントとして独立しています。そういう姿を見て、何か心持などを感じ取っているところがあるのかもしれません。

――一方、お母様は今、大学院入学のために大学に行っているそうですが、これはどういうことでしょうか。

母:公認心理士という国家資格を取得するために、大学院を修了するルートを選択して、また大学に行っているところです。息子の受験の年は1年間、息子の頼みで休学をしていたので、今は2年生です。
公認心理士を目指したのは、息子の小3での不登校と関連しているんです。それまで私は、子どもは学校に行かせていれば、それで済むと思っていたのですが、不登校の危機に際して、学校というものをちゃんと知る必要があると、強く感じたわけです。そこで、ちょうど声がかかったPTA役員を引き受け、最終的にPTA会長まで務めました。その活動のなかで教育委員会にも働きかけたいとなるのですが、これが一般の私たちではなかなか入り込めないものでした。その中に入って何かをしようと思ったら、国家資格というタイトルが必要だと強く感じ、公認心理士の取得を決意したのです。
取得できれば、何かあった時に教育委員会のような機関にも権限を持って入れるでしょう。教育や福祉に関わるところで使えればと思っており、特に母子に関心があるので、子育てや子育て中のお母さんの助けになるような仕事ができたらいいと考えています。

――それは、育児を通してずっと実感されてきたのですか。

母:そうですね。自己肯定感を子どもが持つには、まず、お母さんが自己肯定感をお持ちでないと難しいと感じます。ですから、お母さんたちに自己肯定感を高めてもらえるような仕事をしたいと思っています。

――素敵ですね。日本は子どもの自己肯定感が先進国でも最低レベルで、同時に、女性活躍も進まないような状況です。そこを根底から、現場から変えていくことができそうですね。
そういう奥様の様子を見ていて、お父様はどう思われていますか。

父:人として尊敬しています。子どもをお腹の中で育み、出産することだけでも、もう男性には絶対にできないことですし、その子育てを本当に命がけでしてくれている。その体験を母子の役に立てていきたいという、命の使い方をしているのが、本当に尊敬できますね。

――お2人の育児というのは、どういう感じだったんでしょう。

母:主人は、育児というよりは、自分の時間がとれる時には進んで家にいることを楽しむ姿を見せていた気がします。子どものことをちゃんと見ていましたね。ないがしろにすることはなく、ちゃんと見て存在を認めてあげていました。

父:子育てにおける、父親と母親の役割分担は2人で話し合ってきました。子どもを授かった時から、共通の情報を持って、子どもに対する姿勢や基本的な考え方みたいなものについて、よく話していました。



【東大入学という目的にフォーカスし、手段を考えたら「中退」になった】

――その後、息子さんが早くから東大を意識して、中学も高校も進学校に入学し、さらにその中学から高校に上がる時に、より東大進学率の高いところに改めて高校受験もしています。その辺りは、どんな風に見えていたのでしょうか。

母:私としては、第一志望ではなかった中学校でも素晴らしい先生方にもめぐり会えて、学校生活もとても楽しかったようなので、そのまま同じ高校に上がるものと思っていました。それが、中学校2年生の12月に話があると言われ、「ここを受験したい」と。「それはまたどうして」と聞いたら、「このままじゃ俺、腐っちゃう。腐った水の中にはいられない」ということでした。また、やはり、中学受験の悔しさを実はずっと持っていたらしくて、「俺、このままじゃ終われない」って言ったんです、「このままじゃ負けだ」と。なので、本人が頑張るという姿勢に、主人も私ももう全面的に応援という形でしかなかったです。

父:とにかく2人で話し合ったうえで、息子を応援するということですね。加えて私自身は、仕事柄、同族企業の社長とその息子さんといった関係を間近でみることがあるので、男同士ということも意識していました。

――鉄緑会も、ご本人にプラスになると思って行かせられたのですか。

母:本人が、実は小学校卒業頃から鉄緑会の存在を知っており、行きたいと思っていたようです。それで、これも私は後で知るのですが、鉄緑会に入るには在籍校のレベルによる選抜があるから、渋谷幕張や開成といったランクじゃないと鉄緑会に入れないと思っていたそうなのです。実際には選抜テストを通れば入れたそうですが、その時はまだ情報が少なくて。ですから本人は、鉄緑会に入るために、高校受験にも挑んでいたわけですね。

――そうして渋谷幕張に入ったものの、遅刻もして、自分のペースで過ごされていくわけですね。この感じは、どう見られていましたか。

母:正直、想定の範囲内です。一学期が終わる頃ぐらいには「高校って何なんだろうね」などと言ってくると予想していましたが、意外と早く、入学して2週間ぐらいでした。それで、「ここは義務教育じゃないから、あなたの好きにしていけばいい」と答えていました。本人はもう東大に行くと決めていて、東大に入るには別に高校卒業だけが道でもないので、それは自分で考えて、自分の好きに選択したらいいのではないかと伝えましたね。

父:いま世の中、手段が目的化しがちですが、本来大事なのは目的のほうです。だから、東大合格という目的に対する、手段にとらわれることはない、と伝えました。ただ、選択肢は彼の中で見つけてくるべきものです。
これは別に通学だけのことではなく、もっといえば、東大という当面の目的すら、なんでもいいんじゃないかと私は思います。例えば、刀鍛冶になるのでもいい。真の目的は、幸せになることですから。どこに行くかというのは、そのための手段でしかないのに、それを親が決めていることが一般的には多いような気がしています。

――それでも、実際に中退をされたのは高3の9月でした。そこまでかかった理由は何でしょうか。

母:結局、友人といるのはすごく楽しいんですよ。実際に、渋谷幕張から一緒に東大にいった仲間もいましたし、渋谷幕張での友人関係はものすごく楽しんで、本人もなかなかなか決められなかったのでしょう。ですから、卒業式にも行きました。退学しているので、席もなければ卒業証書もないのですが、クラスのみんなと先生と写真を撮ってきたりしていました。ですから高校での時間はやはり、楽しかったんです。

――その中退を決めることとなったのは、お父様でした。いま辞めたら、戻った学費の半分をあげると言われたわけですが、どういう思いでしたか。

父:遅く起きて遅く登校している、という事実がありましたので、想像ですが、本人も何かどっち着かずの心境だったのではないでしょうか。中途半端はよくないので、気持ちを明らかにするきっかけとして、オプションを提示したということですね。いずれにしても、決めるのは本人です。
この話をするにあたっても、2人で決めました。息子の様子について聞くと、同じように、どっちつかずでいるという意見でしたから。そこもブレがないですね、入学や入試というのはプロセスであって、幸せになることがもっと先にあるわけです。

――とはいえ、実際に高校生という肩書きをなくしてしまうと、不安はありませんでしたか。

母:それが、退学届けの提出は3人で学校に呼ばれて、してきたのですが、なかなか楽しい、非常に楽しい場面だったんですね。それで、私はこれを言うのを楽しみにしていたのですが、翌日に「どうよ?中卒の気分は」って聞いてあげたんです。そうしたら、「いやー、なかなか」と(笑)。おそらく、いろんな不安があったと思います。合格できるのかどうか、どうやって戦っていくのかと、さぞかし不安だったでしょう。ただ、そこで合格をしようがしまいが、それもまた人生だ、という風に捉えていて、「その時はその時。私たちは、私たちができることを今、ここで一生懸命やるだけ」というような心境でした。

父:退学届け提出は、私個人の感想としては、3人で行って、学校から出てきた時にはなにか清清しい、とても清清しい気持ちでした。
一方で、その後、いろいろなネガティブな感情や不安も出てきたに違いないのですが、「別にそんな」と彼は言って、それらを決して口にはしないんですね。やはり彼も、自身の中で背水の陣で、覚悟をしていたのだと思います。



【テレビなんかより、互いの話が面白い! 春木家のにぎやかな食卓】

――ところで、食卓で非常に、皆さんお話が好きだということですが、例えばどんな話をされるのですか。

母:自慢話ですね。例えば、主人が「今日は俺、こんないい仕事してきた」と始めると、息子も負けじと「そういえば俺さ」と、鼻の穴をふくらませて「鉄緑会の英語のクラスで、これが1番だった、あれも1番だった」みたいな自慢話の応酬になります。そこから男2人は将来、東大に入った後にああする、仕事はこうする。結婚がこうだとか、子どもはインターに入れたいなどという風に、夢がふくらむわけです。いつもそんな話ばかりしていますね。
私は「はいはい」と、2人の話を聞いて楽しんでいますが、必ずその場で、今日のご飯が美味しいかどうかを聞きます。それで「これが美味しい」と言われたら、「当たり前だよね。誰が作ったの?」などと、私もちょっと自慢をするんです(笑)。

父:私は「猛獣使い」って言っているんです。私や息子のような、このわがままな男2人をびしっと統率している。だから、実は一番強くって、そんな調子に乗って喋っているんじゃない!という感じでしょう(笑)。しかし、この食事と会話を楽しむということこそが、我が家のスタンダードですね。

母:春木家では食事中、テレビはつけません。仮についていても、誰も見ないでしょう。昔、主人が勧めてくれた胎教教室や一緒に読んでいる本などから、食卓にテレビは必要ないという意見にとても賛同して、それ以来ですね。家族の時間として、食卓を大事に考えています。

――伺っていると、「本」というのが、何か考え方や意見を持つときに重要なファクターとして出てきます。春木家では、本、読書というのは大事なことなのでしょうか。

母:そうですね。私も元々読書が大好きですが、主人もビジネス書など、私とは全然違うジャンルの本をたくさん読むので、結婚前から互いに面白かったものを勧め合ってきました。
主人の勧めで印象的なのは、『ドラゴン桜』ですね。仕事で使う目的で、全21巻を買ってきたのですが、息子がそれに一番ハマりまして、東大合格にも役立ったと思います。
私自身は歴史ものが好きで、とりわけすきなのは江戸時代の人情もの。ですが、地域も時代も問わず、最近だと『塞王の楯』という作品で直木賞を取られた今村翔吾さんがよいですね。何より、お酒と小説というのが至福のときです(笑)。
父:そこも、私も同感ですね!

――最後に、お2人にとって東大とはどんな存在でしょう。

母:私にとっては、東大も他の大学もさほど差はなかったのですが、東大生は実は年間500万ものお金を税金から投入して学ばせていただいているというのを入学後に知り、少し身が引き締まりました。これは必ず、人様や世間様のお役に立っていく人にならなければと、いま思っています。

父:私自身は、3月10日の合格発表が我が事以上に嬉しかったです。その時にも家族に伝えましたが、自分の今までの人生が全部認められたような心持ですね。

――やはり、息子さんが思い入れを持って目指されていることを応援するのだという強い気持ちで、一緒に歩まれてきたということでしょう。では息子さんの今後について、どんなことを期待しているか。これが最後のご質問になります。

母:息子は、決して器用なタイプではありません。同時進行するのは苦手ですし、生活能力も極めて低く、一人暮らしも結局、今回は一旦断念して千葉県から通うことにしています。もともと通える実家があるのに一人暮らしをしたがったわけなので、仕送りはなしで、バイトなどで経済的にも自立しなければ矛盾があります。そうした責任と義務をきちんと全うできる人に育ってほしいのですが、あとは世間様に教えていただくのだと思っています。そうして、まず一人暮らしがきちんとできるようになってほしいですね。

父:私はとにかく、幸せになってほしいということだけです。今後の進路や仕事については、日常会話のなかで聞かれれば私なりの知見を伝えたりはしていますので、どちらに進めば、何をやれば幸せかは、本人が決めること。そのための応援はずっとし続けていきます。

――ありがとうございました。


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