ミクロからマクロを考える
■先週、3県に出張し、県庁所在地で宿泊し
感じたことを共有します。
訪れたそれぞれの県庁所在地では、
昼の大通りや、百貨店の中も閑散とした状態でした。
夜の繁華街では、営業している店は2割程度でした。
看板が点灯していない店が多いので街全体が
暗くなっていました。
営業している店は、繁盛店か個人の生業店で、
繁閑状態は完全に二極化していました。
複数のタクシーの運転手さんから聴いた話では
お客さんの数は、以前と比べ3〜5割減。
以前は2勤1休だったが、現在は1勤2休で、所得減。
増えた休みの日はお金を使わないよう家の中で
テレビを見て過ごしている。とのことでした。
■この状況は、コロナ禍だから、という見方もありますが
わたしは、未来が前倒しであらわれている。
と捉えています。
なぜなら、現在、人口100万人以下の都道府県は10県。
わが国では、毎年50万人、日本人の人口が減少しています。
この傾向は、これから半世紀以上続く見込みで、
さらに、国民の約2.5人に1人が65歳以上の高齢者となる
社会構造へ変化している最中でもあります。
(出所:内閣府ホームページ)
このような変化を肌で感じ、経営に携わる者として
今一度、視座を高め、長期的視点で判断軸を再確認する
必要性を感じた次第です。
■現在、私たちの既成概念や潜在意識の中に、
かつて人口も所得も社会全体が右肩上がりの
環境を前提としていることが、少なくないように
感じています。
その概念や意識を、右肩下がりの環境変化を踏まえ
拡大・使い棄て志向から、充実・循環志向への
転換が必要であるように思います。
■そのような観点から、2015年のサミットで採択された
SDGs(持続可能な開発目標)は分かりやすい指標の
一つと言えるでしょう。
SDGsでは貧困対策や教育、環境など17の目標が
立てられ、それらを達成することで、持続可能な
開発を達成しようとするものです。
SDGsは旬な素材で、分かりやすい指標の一つですが
わが国には、それ以上に立派な思想があります。
■それは、儒教・仏教・道教・禅・神道を有機的に融合させた
思想や哲学、すなわち東洋思想です。
東洋思想は、自然の摂理に従った、とてもシンプルな考え方です。
東洋思想の基をなす考え方の一部に以下の4つの要素があります。
「惻隠(そくいん)の心」
(困っている人を見て気の毒に思う心)、
「羞悪(しゅうお)の心」
(自己の不善を恥じ、他者の悪を憎む心)、
「辞譲(じじょう)の心」
(譲り合う心)、
「是非(ぜひ)の心」
(道理にしたがって良い悪いと判断する心)
■このような心を大切にして社会を作った日本では、
対立より協調。トップダウン的な上下意識ではなく、
ボトムアップ的な水平関係をとても大切にしていました。
そして、人間が自然の一部である以上、商売も自然の一部。
だから、自然の摂理にしたがった商売の形にすることで、
事業は発展・繁栄すると考えていたのです。
■かつて、江戸末期から明治初期にかけて、
数多くの外国人が日本を訪れました。
鎖国下の日本の庶民は、圧政に苦しんでいるのだろうと
多くの外国人は思っていたようです。
しかし、実際には、次のよう述べています。
「上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和」
「ごく普通の労働者でさえ、お茶を満喫しながら同時に美しい風景をも堪能する」
「これ以上幸せそうな人々は、世界中どこを探しても見当たらない」
「他人を大事にする日本人の“思いやり”は、英語の“sympathy”よりも
はるかに、自分を抑えて他者の心を推しはかる意味を持つ」
「人は働かねばならぬときは自主的に働き、休みたいときは自主的に休んだ」
(出所:書籍 逝きし世の面影 著者:渡辺 京二)
さいごに、これから、より意識していこうと思っている
キーワードを共有します。
・ 業績軸から「幸せ軸」
・ 競争から「共生」
・ 勝ち負け、対立から「共感」
・ 自分さえ良ければから「お天道様に恥じない生き方」
・ 説教、議論から「対話」
・ 使い棄てから「もったいない」
・ 管理から「支援」
・ 人材育成から「人財共育」
・ 評価から「考課」
今日も皆さまにとって
素晴らしい一日になりますように。
日々是新 春木清隆
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知足者富、強行者有志、
不失其所者久、死而不亡者壽
(出典:老子 三十三章)
<意訳>
自分にとって何が充分かを知る人は
豊かになり、努力を続ける人は志を果たし、
自分の立ち位置を見失わない人は長続きする。
「道」の道理に従って
肉体的な死に囚われない人は、
本当の意味で長生きすることができるだろう。
老子(中国の哲学者 紀元前145年~紀元前86年)
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