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「大丈夫の試金石」

■「大丈夫の試金石」とは、渋沢栄一が著した
『論語と算盤』の一節です。
『論語と算盤』は昭和バブルの頃、尊敬する方から
教えていただき、以来、座右の書の一冊で
折に触れて読み返しています。

■渋沢栄一は江戸末期の1840年埼玉県深谷市に
農民の子として生まれました。
亡くなったのが1931年ですから享年91歳です。
当時、日本の平均寿命は50歳前後ですから、
大変なご長寿でした。

■農家に生まれた渋沢は、刻苦勉励し、尊攘派の
志士から、徳川慶喜の家臣・幕臣に取り立てられます。
27歳でパリ万博を視察したほか、ヨーロッパ各国を
訪問団の一員として随行します。
そこでヨーロッパ各地の先進的な産業や軍備、
社会を見て大いに感銘を受け28歳で帰国します。

■帰国後は、世の中が180度転換し、幕府が倒れ、
明治政府になっていますから、心の中は不安や
焦燥などで覆われていた日々もあったでしょう。
その後、29歳の渋沢は大蔵省に入省し、33歳で退官します。

■退官後は七十七銀行など多くの銀行、王子製紙、
帝国ホテル、サッポロビールなど500以上の
会社設立に関わった日本資本主義の基盤をなした
人物です。

■渋沢は、<富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。
正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。>
という「道徳経済合一説」を唱えています。
これは私が経験を通じて信条としている
<経営=心+科学>と相似であります。


■今回ご紹介する「大丈夫の試金石」は
原本に書かれている言葉で、現代語訳にすると、
「立派な人間が進化を試される機会」となります。
ここで渋沢は逆境を「人為的逆境」すなわち、
「人の作った逆境」と「人にはどうしようもない逆境」
である「自然的逆境」がある。と説いています。

■その対処の仕方として、
「人にはどうしようもない逆境」
に立たされた場合、どんな人でもまず、
「自分の本分(自分に与えられた社会のなかでの役割分担)」
だと覚悟を決めるのが唯一の策ではないか」

「どんなに頭を悩ませても結局、
天命(神から与えられている運命)
であるから仕方がない」とあきらめがつくならば、
どんなに対処しがたい逆境にいても、
心は平静さを保つことができるに違いないと言っています。

■では、「人の作った逆境」の場合
どうすればいいのでしょう。渋沢は、
「これはほとんど自分がやったことの結果なので、
とにかく自分を反省して悪い点を改めるしかない。
世の中のことは、自分次第な面も多く、自分から
こうしたい、ああしたいと本気で頑張れば、だいたいは
その思いの通りになるものである」と教えてくれています。


■生老病死やコロナ禍。人生山あり谷ありですが、
偉大な先人の遺してくれた言葉から大いに力をもらえました。

今日も皆さまにとりまして素晴らしい一日になりますように


出典
・論語と算盤 渋沢栄一著
・現代語訳 論語と算盤 守屋淳訳

日々是新 春木清隆
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四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、
九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ。
渋沢栄一(実業家/1840年~1931年)


(昨朝10/22)の空


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